..心のどっかでほんとはいつでも待っていた..
last entry category archives profile comment link admin
material by 空に咲く花
template by xxx
qrcode
【6】


肩をトントン。
手術後オペ室で優しく起こされた。
全てが終わっていた。


それから自室に戻る。
旦那様とお母さんと会えた。


でも思うように声が出ない。
術後ってこんな感じなのか。

「暑い」「しんどい」
つたない言葉でこれをひたすら繰り返す。
口はパカパカに乾いていた。
なんとか必死に伝えて、お母さんに濡らしたティッシュを唇にのせてもらう。

筋肉が落ちきった体で手術を受けたからか、なかなか回復しなかった。

約6時間。
ようやく絶食から解放された。

白湯がとてもおいしい。
少しずつ少しずつ胃に流し込む。


ここからは回復しかないよね!!!
みんなで希望に満ちていた。



その夜、気持ちが高ぶって余り眠れなかった。
ランナーズハイみたいな。

ようやく携帯も触れるくらい回復したから、親しい人達にご報告。



寝ては起き、寝ては起き、朝を迎えた。

朝の重湯は少し食べた。
できるだけ飲み物も飲んだ。


昼からなんとか車椅子に座ってわが子に会いに行こうと、午前中に洗髪と清拭をお願いした。

そこまではよかったのだ。
昼前にいきなりの吐き気。
そこから連続の嘔吐。
悪夢の3日間のはじまりだった。



何かを口にしては吐き、寝返りをうち体制を変えては吐き、食べたいのに食べれない、飲みたいのに飲めない状態になった。


足の運動も寝返りもうまくいかない。
体が思うように動かない。
簡単に落ちた体力と筋肉を取り戻すのはそう簡単なことじゃなかった。



そのまま続く嘔吐。
吐くものがなくなって胃液を吐いたことはあるけど。
なにやら深緑のものを吐いた。
調べると胆汁だったかなんだったか。
胃液すらないときに稀に出てくるらしい。


夜中だろうと朝だろうと吐き続けた。


今思い出すと入院中これが一番辛かった気がする。


NICUの看護師さんが毎日写真を届けてくれる。
お母さん、今日は来れそうですか?
体調を心配しながらも聞いてくれる。
行きたいんです、私は行きたいんです!!
必死に答えるがそれでも止まない吐き気と動かない体。

普通の帝王切開さんなら、早くて当日、遅くても翌日には会いに行けるだろう。
なぜ行けないのだ。



3日目、吐き気はとまらなかったが、それでも意地だ。会いに行きたい!!


看護師さんに行きたいことを伝え、車椅子を用意してもらう。
看護師さんと旦那様に手伝ってもらってなんとか起き上がる。
起き上がった瞬間に吐く。

その日の看護師さん、よし、今や!!
吐いた直後の私をなんとか無理矢理車椅子に座らせて、高速で病院内を進みNICUに連れていってくれた。


ようやく会えた。
産んだ直後ぶりのわたし達の天使くんに。


小さかった。
たった1000gで生まれてきたわたし達の天使くんは、あばらもすけすけでほっそりがりがりで、本当に本当に小さかった。
たくさんの管に繋がれて助けられながら、それでもしっかり生きてくれていた。



新たな命の誕生って、命懸けだね。
私の場合は少し異例かもしれないけれど、普通に産んだ人だってきっと命懸けだ。


「母強し。」
本当にそう思った。




.

2017.12.18 Monday comments(0)




あの日のドキドキ


インターバル。

【?〜?】くらいまで書くつもりです。



10/6夜中にツアー発表されて、場所が発表されるまでの間にドキドキしたあの瞬間よ再び。


なんとなーくね、
関西と関東ははずされてるんじゃないか
きっと九州→中四国→東北だろうって
想像はしてるんだよ
わかってるんだよ



でも

心のどっかで ほんとはいつでも待っていた

なんだよね。


和歌山来て欲しいよ、にかちゃん。。。



あーもどかしいこの気持ち。
変にずーっとドキドキしてんの。

にかちゃんは今どんな気持ち?

だってわかってるんでしょ、この答え。


期待しちゃダメだ、和歌山はきっとない
頭では理解してるのに
心のどっかでは待ってる



会いたいよーーーーーーー
待たせてください。



.

2017.12.15 Friday comments(0)




【5】


2017年10月某日
緊急帝王切開手術



朝から慌ただしく手術着に。
といっても看護師さん二人の手を借りてなんとか着替えました。

いろんな人が挨拶や励ましに来てくれました。
仲良くなった看護師さん、NICUの担当看護師さん、麻酔科医の先生、オペ看、担当医…



帝王切開、わたしはてっきり全身麻酔でするものだと思い込んでいて、前日に部分麻酔と知りめちゃくちゃ恐怖でした…

こういうことも、いざ帝王切開するって立場にならなきゃ知らないんだろうなって思う。




基本的に開腹してから赤ちゃんが出てくるまで約30分、縫い合わせに約30分、前後の移動や麻酔をうつのもいれて、何もなければ1時間半前後の手術になると説明を受けました。




お母さんと旦那様に見送られいざ手術室へ。
直前までビビっていた私だけど、いざ手術となると肝が据わったかのように落ち着いて、「母強し」と自分のことを客観視していました。


麻酔を打つ時は背中を丸めて背中から打ちます。
妊婦はお腹が大きいからこの体制がなかなか大変らしい。
お腹は大きかったけど週数が早いこともありここは普通にクリア。
次に麻酔。これは痛い人は本当に激痛らしいが、わたしはそこまで辛くもなく1発クリア。

そしていよいよ手術がはじまる。
赤ちゃんが産まれるまでは左手側に助産師さんが一人励まし役として着いてくれた。
入院していたわたしにとっては顔見知りの中でとても心強かった。


「切りますって言わずにはじめてください!!!」
担当医と部長先生にそれだけは伝えていた。



麻酔は痛みだけを感じなくさせるだけのものなので、手術中触っている感触はずっとあります。と直前に麻酔科医に言われる。

え、まじ?(笑)


切りますと言われなくてもお腹を伝う直線。
あ、はじまった。ってすぐにわかった。


そのあともずっとお腹はもにょもにょ触られている感触。
気を紛らわすために助産師さんと会話する。
もう名前を決めているんで、産まれたらそう呼んであげてください!とお願いする。

最後までしっかり呼吸しましょう、産まれるまで赤ちゃんに酸素を送ってあげましょう!
とても心強い言葉を頂いたから頑張れました。

上手上手!本当に上手くできてたかはわからないけどその言葉に救われる。



「「「おぎゃー」」」



まだ肺が出来上がっていない赤ちゃん
泣き声はきっと聞けないだろう
息をせず産まれた場合はすぐに蘇生に入ってそのままNICUに走りますと言われていた。


泣き声が聞こえた瞬間涙が溢れた。
しっかり、はっきり、私にまで聞こえる声で泣いてくれた!!!
うれしくてうれしくてしかたなかった。


助産師さんは走っていく。
そしてしばらくしたあと、お母さん!赤ちゃんきますよ!

まさかだった。
元気に産まれてくれたおかげで、その場で顔を見せてもらえた。
今から赤ちゃんも頑張りますからね、お母さんもあと少し頑張ってくださいね!そして赤ちゃんは運ばれていった。



そこからは睡眠薬を導入してもらい、あっという間に終わった。


呼ばれて目を開けたら綺麗に縫われ手術が終わっていた。




あとから知った、30分くらいと予定されていた縫い合わせ。
筋腫が変遷を起こしていることもあり1時間以上かかったらしい。

わたしは眠っているだけだったからあっという間だったが、お母さんと旦那様はいつまでも手術が終わらないわたしに、不安で不安でずっと気が気じゃなかったらしい。



それでもひとまず、無事に手術成功。



.

2017.12.01 Friday comments(0)




【4】


10月連休明け、入院時くらい強めのお腹の張り。

診察をして、旦那を呼んで、お腹の中の炎症がひどくなってきているので、1~2週間のうちに手術になると思うと話をされました。


夫婦で手術の説明を受け、同意書にサイン。
26週…わずか2週間しか経っていない。


その夜はベットで泣き続けた。
赤ちゃんごめんね、ごめんねって。


4年前、筋腫がなかったから安心していた。
そんな数年でできてると思ってなかった。
子供を作る前にちゃんと検査しとくべきだった。
きちんと定期的に検査しておけばよかった。


正常である36週までお腹で育ててあげたかった。
なるべく元気に、なるべく普通に、なるべくしんどくないように、産みたかった。




そんな気持ちでいっぱいで押しつぶされて本当につらかった。

なんでもするのに、弱音もはいてないのに、もっと耐えれるのに、なんで?って。



翌日、手術に向けての準備が再開した。
心電図をとって、NICUの看護師さんがNICUの説明にきて…


わたしだって下を向いてばかりいられない。
できる限りのことはしてあげないと。
一生懸命食べて一生懸命睡眠をとる。
たくさん深呼吸して酸素を届けてあげる。
万全の状態で手術に挑めるように、少しでも大きく産んであげれるように。


そしてまた突然にやってくる。

最終判断は明日の血液検査の結果を見てからになりますが、念の為明日手術になってもいいよう、今晩から絶食してください。


副作用で口渇ななか、一切飲み物を飲めないのはつらかった。

でもお腹で育ててあげれる最後かもしれない夜を、大切に大切に過ごした。

大好きなミスチルを流しながら、たくさんありがとうを言いながら、、、



翌朝、今までにないお腹の張り。
はじめて痛みを伴った。
本当の陣痛のような、唸る痛さと張り。


血液検査の結果は悪くなかったけど、手術が決まった。




.

2017.11.25 Saturday comments(0)




【3】


1週間後、だいぶ落ち着きを取り戻し、点滴の量を減らすことに。

マグセントが20→10にさがりました。
これだけで身体がすごく楽に。
そして尿カテも抜け、トイレだけは自分で行っていいことに。



それでもトイレに行くわずか3mの距離は看護師さんを呼んで車椅子移動。
足はふるえ小鹿ちゃん状態。
起き上がるのはキャッチアップを使ってベットの手すりに捕まってなんとか起き上がれるレベル。



そして夜、再びはじまるお腹の張り。
マグセント10→20MAX値へ逆戻り。
わずか5~6時間だったかな。



翌朝、副作用で舌はベロベロ。
何かを食べようとすると激痛、食べれても味は何もわからない口へと変化していました。

副作用の発熱が特にひどく、アイスノンで頭を冷やし、溶けたらすぐに新しいのにかえてもらい24時間アイスノン。
飲み物をどんだけ飲んでも飲んでも口渇状態。

しんどかったし辛かった。
それでも看護師さんに聞いたりネットで調べてみるとわたしはましな方みたいだ。

マグセントは本当にきついみたいで、ずっと吐き続けてる人もいるとゆう。


なぜか右向きに横になるとお腹がしんどく、左向きにしかなれなくて床ずれのような…筋肉痛もたくさんなった。


2日に1回採血されてどんどん穴だらけの腕。

点滴は1週間もさせば血管が細くなって限界を迎えて悲鳴をあげてくる。
ライン交換といって、点滴を逆の手に打ちかえるけど、元の点滴跡が痛い。それでもまた1週間後にはこっちの手に戻ってくるから必死で回復を祈る。



ご飯は喉を通らない、口内はずっとひどいまま。
寝たままお母さんが食べさせてくれるアイスが最高においしい。味はあまり分からないけど。


ただ、ベロベロでザラザラな舌でも受け入れれる、唯一の食べ物だった。

それでも朝昼晩、痛いけど食べる。
お腹の中に栄養を送るために、食べれるだけ口に入れる。



昼間は落ち着いて、夜は張る、を繰り返すお腹。
毎日「もう少しここにいててねー」ってお腹に話しかけて、毎晩祈りながら眠る。(っていってもあまり寝れないけど)



1日1日、今日も大丈夫だった、明日もお願いしますって。
ほんとに1日1日しのいでる感じの毎日だった。




.

2017.11.25 Saturday comments(0)




【2】


9月末、そのときはまた突然にやってきました。


朝からにぶいお腹の張り。
夕方になると筋腫がある側が膨れてきてさすってないと耐えれない痛み。
さすがにおかしいと思い病院に電話。


入院の用意を持ってすぐに診察に来てくださいとのこと。

何もなくても11月頃からは入院になると言われていたので、部屋に用意していた入院セットを持って病院へ。



切迫早産と診断され、即入院となりました。
7月との違いはお腹が張っていること。
言わば陣痛のようなものがきている感覚。


張り止めの点滴「リトドリン」を打って、その日は旦那は帰宅。



この点滴は24時間打ちっぱなしで、1時間20mlからスタートしたかな?最高が60だった気がする。


わたしも、点滴を打てばおさまるだろうと考え、副作用があまりなかったこともらあり、うつらうつら寝る。


夜中、一向におさまらない張り。
むしろひどくなってきた。
MAXの60まで徐々にあがってく点滴。
それでもおさまらない。

モニター(赤ちゃんの心音と、陣痛の強度、間隔を測るもの)を設置してさらに強い張り止め「マグセント」を重ねて点滴することに。



マグセント、初回のみ1時間80の量で注入される。
リトドリンより強い薬なこともあり副作用もきつい。
嘔吐しました。
クーラーを22度ガンガンでかけてもらっても汗だく。暑くて暑くてたまらない。

初回注入が終われば1時間20のMAX値で続ける。

そして迎えた朝、もう1度診察。
このまま張りがおさまらなければ、赤ちゃんを出すことも視野に入れなければいけません、と。


24週4日でした。
一応死産にはならない週数とは言え、肺機能は出来上がっていない、とても危険な状態。
不安で不安でしかたありませんでした。


それでも「そのとき」のために、肺機能を助ける筋肉注射を打ち、レントゲンをとり、血液検査を行い、手術の準備がはじまりました。


昼頃、少し張りがおさまりはじめ、回復の兆しがみえました。
それでもこの時点で副作用で歩くことすらままならなかったわたし、尿道カテーテルを入れ、本格的に管だらけの寝たきり生活のはじまりとなりました。





.

2017.11.25 Saturday comments(0)




【1】


時間ができた今、私のわずか半年程の妊婦生活を振り返ろうと思う。


周りは教えてくれなかった、しんどいことの数々を。
命の尊さ、大切さを。



ここが二階堂くん大好きな私が綴るブログであることは承知のうえ、記録を綴ることを許してください。




2017年5月、ゴールデンウィーク明け
わたしの妊娠が発覚しました。


はじめは検査薬、そして産婦人科へ。
妊娠の確定と共に、わたしの病気が発覚しました。

病名は子宮筋腫、妊娠していなければさほど問題のない病気でした。
妊娠には不都合な病気でした。
そしてわたしの筋腫は、直径10cm越えと、特大サイズでした。



産婦人科では危険と判断され、大きな日赤病院を紹介され通院することとなりました。


産めなくはない、けどリスクがたくさんある。
切迫流産をする可能性、赤ちゃんが育たない可能性、切迫早産の可能性、胎盤早期剥離の可能性、様々な危険の話を聞きました。



それでも最初は順調に、普通の赤ちゃんと同じように育っていました。
わたしも、普通に仕事をして過ごすことができていました。



7月、そのときは突然やってきました。
真夜中2時、いきなりの大出血。
慌てて病院に電話してかけつけて診察して
切迫流産と診断され、さらに破水の陽性反応があると言われ、即入院となりました。



このときは、出血はすぐに止まっていたし、ただひたすらに安静。
毎日体温血圧などを管理してもらい、トイレとシャワー以外はベットで横になる。

元気なわたしの寝たきり生活でした。

1週間で退院となり、約1ヶ月の自宅安静がはじまりました。



やっぱり自宅は居心地がいい。
退院後も急変はなく、元気な体で自宅で寝たきり。
8月頭の診察で自宅安静が解除され、お盆明けから仕事復帰となりました。



でも極力安静にしてくださいとのことで、職場にも配慮してもらい、家でも基本安静、休日は寝たきり、ゆっくりゆっくり大切に過ごしました。


当初11月退職予定だった所、9月退職に変更してもらい、引き継ぎに励みました。

9月末3日間は休みを頂き、最後の挨拶を終え、8年半働いた職場を後にしました。




そして2回目の急変はまた突然にやってきました。



.

2017.11.25 Saturday comments(0)




Rainbow


8色の虹。



さて、お誕生日おめでとうございます。
もうあなたも30歳ですか。
ね、二階堂くんたちもきっとびっくり(笑)


毎年この日になると、もしあなたが居たらどうなってたのかなって、ちょっと考えちゃいます。

慶ちゃんやみたいにニュース番組出たりしてたのかな?
唯一の知的キャラだったのかな?
、、、なんて(笑)



場所は違えど!
これからも8人全員が、あの頃のように笑っている未来が続きますように。



.

2017.11.18 Saturday comments(0)




未完成


かね?(笑)

なんだか、悔しかった。
もっとかっこいいはずなのにーーー!って。



踊り慣れてない感が否めなかった。
全体的にミスもチラホラ目立ってた。

これから年末の歌番組に向けて、頑張って!
もっとかっこいいキスマイ魅せて!!



お疲れ様でした♪
悔しかったけど、でもかっこよかったんだよ?(笑)


会いたかったなあー。



.

2017.11.15 Wednesday comments(0)




なぜかいまかきたくなって、


1ヶ月もすぎ、薬も終わり、ようやく自分の身体が落ち着いてきた…

来週はもう少し自由に動けてるだろうか。
ひにちぐすりとは思っていても、やっぱり思うように動かない身体にもどかしくなる。



実は明日のベストヒット歌謡祭、応募してました。
頑張れば行けるかなと思って。
まあ、一次も二次もダメだったんだけどね(笑)


大阪で、頑張ってね!
テレビの前でわくわく待っています!



そろそろアルバム、予約しなきゃ(笑)

.

2017.11.15 Wednesday comments(0)




1/69 >>
(C) 2017 ブログ JUGEM Some Rights Reserved.